2017年8月 1日 (火)

続・となりのツキノワグマ(2)  里にもクマがいる

 7月14日、北秋田市の大館能代空港近くにある伊勢堂岱遺跡で、爆竹を鳴らしてクマを追い払おうとしていた市の職員が、クマ(たぶん1歳半)に襲われて負傷するという事件がありました。

 伊勢堂岱遺跡は、空港関連の道路工事のときに発見された縄文時代の遺跡で、大きなストーンサークル(環状列石)がいくつもある、祭事場ではないかと言われている大きな遺跡で、大湯のストーンサークルや青森の三内丸山遺跡などとともに、世界遺産登録を目指している遺跡です。

 しかし昨年は遺跡の遊歩道にクマが出没して、一般公開が中止となりました。今年は大きな音を出す「爆音器」を導入して公開を始めたところ、6月に遺跡内でクマが目撃され、それ以降は一般公開を中止し、すでに予定が入っていた団体については、係員が同行して案内していました。

 7月14日は、東北各県の自治体職員の研修会が伊勢堂岱縄文館(資料館)て開かれていて、そのあとの現地視察の前に、念のためにと爆竹を使って、市の職員など4人が追い払い作業をしていたところ、藪からクマが突然現れて、少し離れた所にいた男性職員を襲いました。気がついた他の職員が大きな声を出して威嚇すると、クマは逃げたとのことです。襲われた職員は公民館担当の部署で、私の管理者にあたり、もちろん知っている人です。

 この事件でこの日の現地見学は中止され、その後も一般公開の見込みはなく、襲われた本人にとっても、市にとっても大きな痛手となりました。

 

 秋田県の高速道路や国道、県道で、クマの交通事故がたくさん起きています。クマが飛び出して車に当たり、車はバンパーなどが破損、クマは逃げて行くというのが普通のパターンです。でも、7月31日には秋田市近郊の秋田自動車道では、クマが死亡しています。

 事故の頻度からすると、相当数のクマが、山奥ではなく人里近くに来ていることがわかります。今年は特に多いようです。これは、一昨年の山の木の実が大豊作だったため、その冬に出産するメスグマが多く、ちょうど1歳半になって親離れしたばかりの子グマ(青少年グマ)が歩き回っているという指摘もあります。

 伊勢堂岱のあたりは、山というより丘、台地です。山の食べ物だけでなく、畑の作物や家畜の飼料、時には比内地鶏なども餌にしてしまう、困ったクマとして世代を重ねているかもしれません。そして、「里山のクマ」は、奥山のクマとは性格が違い、人間にとって危険なのは、「里山のクマ」のほうだという人もいます。

 北秋田市では今年6月に、北海道大学の大学院と、くまくま園(クマ牧場)でのクマの研究について協定を結びました。今後、クマの被害を防句手だてなどについても、知見を得られればありがたいと思います。Photo

2017年7月30日 (日)

続・となりのツキノワグマ(1)  クマの転入者

 6月下旬から、北秋田市の阿仁合地区に、ツキノワグマが住んでいます。いえ、住民票を持ってきたわけではないので、「棲んでいる」というのが正しいのですが。

 これまで、町のはずれを通るクマはいたのですが、今回は様相が違います。家々と商店、寺院、役所の庁舎、学校、診療所、高齢者施設、消防署、公民館などがある、旧・阿仁町の中心地に、クマがいるのです。

 阿仁合の町は、駅前の通りから国道のバイパスにかけて、起伏のある緩斜面に広がり、建物と建物の間には、たくさんの木々や灌木の茂みがあります。見通しが悪い裏通りには、クマが隠れる所がいくらでもあるのです。

 棲んでいるツキノワグマは、母グマと別れて置いて行かれたらしい1歳半のクマ。これがあちこちを動いています。別の、冬に生まれたばかりの子グマも目撃されています。

 まだ人身事故は起きていませんが、このまま棲み続けられては大変です。庭や畑の作物への被害も考えられます。

 市から猟友会に依頼して、7月16日に、クマの通り道となりそうな茂みに捕獲用の折を設置しましたが、2週間たっても、まだ捕まっていません。

 クマは冬籠りの間に子を産み、1歳半で子別れをします。今回も、最初は母子連れだったそうですが、母グマは阿仁合の町の中に子グマを置いて行ったようです。食べ物がたくさんあると思ったのでしょうか。まったくとんでもない親です。

 阿仁合では、クマの隠れ場所になる藪を減らそうと、刈り払い機で作業をするなど、対策をとっていますが、クマ本人が山に戻って行かない以上、檻で捕獲するしかありません。

 檻に入れるエサは、果物やはちみつですが、先日、一度折に入ったものの、入口の戸が落ちなくて、逃げられたそうです。これは、クマが小型のため、踏板やワイヤーに掛からなかったようです。

 2日前には、メインストリートの湊商店横で目撃されていることから、行動範囲は広がっているらしいとのこと。

 このクマが東京都内に出たら、機動隊も出動した大捜査線が張られ、テレビカメラの放列が敷かれ、見物人が殺到する騒ぎになるところですが、山間の町では、ニュースにもなりません。しかし、ここは紛れもなく、人間とクマが対峙する最前線なのです。

 昨年、FBと「くまのたいら企画のブログ」で、クマの話を書きましたが、今年も、少しまとめてみようと思います。

 (写真は阿仁合「在住」のクマ。佐藤稔さん撮影)

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2017年6月21日 (水)

鉄道会社は「愛」を得るための努力を

かつて鉄道は「かたい商売」と言われ、「安全」と「定時運行」が最大の使命とされていた。

 今のローカル鉄道は、もちろんそれだけでは路線の維持ができる状況ではないのだが、少し前までは、路線維持のための新しい取り組みに消極的な会社も目立っていた。

 「第三セクター会社」は、これまで全国で数多く設立されているが、中には、経営体質を問題にされた会社も結構ある。

 鉄道の場合は、国鉄の分割民営化に伴って、切り離されるローカル線の受け皿として、多くの第三セクター会社が設立された。地元自治体の首長が社長で、社員は、自治体からの出向、国鉄・JRからの出向・転籍、それに自社の新規採用者、という組み合わせが多かった。そのため、という言い方は当事者に失礼かもしれないが、30年前の役所と国鉄の体質をそのまま受け継ぎ、しかも、経営陣に鉄道経営手法の蓄積がない、という状況からの出発だった。

 もちろん第三セクター鉄道だけでなく、以前から民営のローカル鉄道の中にも、経営体質が問題にされていた会社がある。西日本のあるローカル鉄道会社が経営危機に陥ったとき、利用者から、「鉄道は必要だが、あの会社は要らない」と酷評された逸話がある。(この会社、現在は体質改善に成功している。)

 三セク鉄道は、開業当初は祝賀ムードで利用客も多かったが、その後は利用者数の減少と経営赤字が続き、存続問題が浮上した鉄道も多かった。

 この状況に、株主の県や地元自治体では、財政的な支援の枠組みを作る一方、それまで首長が兼任していた社長職を専任にしたり、民間から社長を公募するなど、それぞれの手法で経営体質の改善を図ってきた。

 また、沿線住民による支援団体の活動も、活発化してきた。ボランティアでの清掃、美化活動をはじめとして、支援団体主催のイベントは多くの団体が行っている。

特筆されるのは兵庫県の北条鉄道で、地域住民の寄付とボランティア作業によって、3年がかりで無人駅も含めた全駅に車いすにも対応できる新しいトイレを設置した。この過程で鉄道への愛着が高まり、乗客の増加にもつながっている。

 遠く離れた地で応援団が活動しているのは、秋田県の由利高原鉄道だ。鉄道ファンが中心になって、東京や大阪などでの鉄道イベントのときに販売員をしたり、写真展を開いたりするほか、由利高原鉄道の列車を貸切りにしてのイベントも定期的に実施している。

注目されるのは、この2社のケースは、鉄道会社からの提案がきっかけになったことだ。

ローカル鉄道は、地域に愛されてこそ、存在する意味がある。そして、地域の外からも愛が得られれば、存在価値はもっと大きくなる。2006年に千葉県の銚子電鉄が発信した「ぬれ煎餅買ってください。電車の修理代を稼がなくちゃいけないんです。」のSOSに、全国の人々がすぐに応援に乗り出したことは、まだ記憶に新しい。

 鉄道会社は、もちろん「かたい」部分はしっかり守りながら、人々の「愛」を得るための努力を、惜しんではいけないと思う。


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沿線の人たちとの協力が不可欠

 昨今は、たいへんな「鉄道ブーム」である。鉄道の旅を扱ったテレビ番組の数も多い。女性のファンも増えていて、すそ野が大きく広がった感がある。厳しい経営状況の中でも健闘しているローカル鉄道が目立ってきたのも、ファンの増加とリンクしているのかもしれない。ファンもそうだが、鉄道の旅をしたい観光客が増えていると思う。

 沿線人口の減少は、ローカル鉄道に共通の難題だが、多くの鉄道会社は、外から観光客を呼ぶことによって、そのマイナスを埋めようと取り組んでいる。

 その中心が、観光客向けの列車を走らせることだ。今、JR各社では、豪華観光列車を相次いでデビューさせているが、ここではローカル鉄道の観光列車を上げて行く。

 ローカル線用の観光列車としては、JR五能線の「リゾートしらかみ」が老舗だが、JRではほかに、八戸線にレストラン列車「東北エモーション」、「リゾートうみねこ」、津軽線・大湊線に「リゾートあすなろ」など、多くの観光列車を運行している。釜石線の「SL銀河」、磐越西線の「SLばんえつ物語」もこの仲間だ。

 資金力のあまりない民鉄や第三セクター鉄道も、それぞれの特徴を生かした車両を走らせている。津軽鉄道のストーブ列車、三陸鉄道のこたつ列車、秋田内陸縦貫鉄道の「お座敷列車」、そして会津鉄道は「お座トロ展望列車」というマルチな観光列車だ。

 ローカル鉄道の観光列車に必要なのは、沿線の自治体や観光団体、住民との連携である。多くのローカル鉄道では、様々な形で会社外の人たちの応援を得て、観光列車を盛り上げている。たとえば秋田内陸縦貫鉄道の「ごっつお玉手箱列車」は、お座敷列車を使って角館から阿仁合まで運行するが、発車すると途中の駅から郷土料理を少しずつ積み込んで、配膳して行く。懐石料理やレストランのコース料理の手法を動く列車を舞台に提供しているわけだ。

 料理を積み込むのは、近くの農家民宿のお母さんや、旅館の女将さんだ。配膳と接客も、農家のお母さんたちが担当する。乗客はローカル列車の旅と、地域の食文化に触れる旅を同時に味わうことができる。このような手法は他の鉄道でも取り入れられている。

 列車内だけでなく、駅や沿線風景をプロデュースしている鉄道もある。千葉県の、いすみ鉄道、小湊鉄道が有名だ。いすみ鉄道は、国鉄時代に使われていたディーゼルカーがシンボル的存在で、「昭和」をコンセプトに、沿線地域全体の雰囲気を作り出してきた。国鉄時代の急行型車両は、地元産の食材を使った「レストラン列車」としても人気が高い。小湊鉄道も、小さな駅の周辺に昔の里山の暮らしの風景を再現して、レトロなディーゼルカーやSL風の観光列車が人々を楽しませている。

 これらの風景は、鉄道会社だけで作り上げているのではない。ローカル鉄道とそれを取り巻く風景は、鉄道会社と沿線の人たちが協力して磨き上げることによって初めて、たくさんの人を呼ぶ「鉄道テーマパーク」に変身できるのである。100220

ローカル鉄道の奮闘

 「ローカル鉄道」という言葉からは、「田舎」、「本数が少ない」、「景色がいい」、「赤字」、「のんびり」など、多くの人がそのイメージを描くことができるだろう。

 この「ローカル鉄道」も、経営形態から見ると、大きく三つに分類される。

 まず、JRのローカル線。これは地図記号でも他の鉄道と区別されていることが多いので、わかりやすい。

 次に、民営鉄道。一般に「私鉄」と呼ばれている、JR以外の民間会社が以前から経営してきた鉄道で、首都圏にはたくさんある。しかし東北では、自動車交通の発達などで、戦後の高度成長期から小さな民営鉄道路線の廃止がすすみ、現在は青森県の津軽鉄道と弘南鉄道、福島県の福島交通の三社だけになっている。

2012年に廃止された青森県の十和田観光電鉄も民営鉄道だった。

 そして、第三セクターの鉄道会社が経営する鉄道。「三セク鉄道」と略されることもある。

 第三セクター鉄道は、さらに二種類に大別される。まず、新幹線開業によって並行在来線を引き受けた鉄道会社で、東北ではIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道がある。そしてもう一種類は、国鉄からJRに移行するときに切り離された、「国鉄転換型」だ。岩手県の三陸鉄道、秋田県の秋田内陸縦貫鉄道と由利高原鉄道、山形県の山形鉄道、福島・宮城両県を走る阿武隈急行、福島県の会津鉄道である。(三セク転換後に開業した部分を持つ鉄道もある。)

 さて、国鉄転換型の三セク鉄道の経営収支は、どこも赤字である。しかし、国鉄時代よりも大幅に改善している。それでも「赤字」という言葉をマスコミは先に使ってしまう。前にも書いたが、道路の「赤字」はほとんど語られないのに、である。しかも、ニュースで紹介されるときに、「厳しい経営が続く〇〇鉄道」、「利用客の減少が続く△△線」などと、お決まりの枕詞で語られる場合も多い。

 しかし、「ローカル線はみんな同じ状況なのだろう」と思ってはいけない。利用客が回復しているローカル鉄道が全国に何社もあるのだ。

 2016年に刊行された『ローカル鉄道という希望』(田中輝美・河出書房新社)で紹介されているのだが、国土交通省の鉄道統計年報によると、ここ10年間の利用者数が上昇傾向なのは、茨城県のひたちなか海浜鉄道、福井県のえちぜん鉄道、兵庫県の北条鉄道など。これに、横ばい傾向の路線も含めると、約半数の路線が、利用者を増やすか維持している。

 このデータを見ると、「ローカル線はどこも厳しい」という「常識」を改める必要があるのではないか。そして、利用者が回復している鉄道は、地域ごとの条件の違いはあるものの、鉄道会社の意識転換や、工夫された取り組みがある。そうした先進事例を他の鉄道会社やその沿線自治体にも広く紹介して行くことによって、ローカル鉄道の全体的な底上げが可能になるだろう。

 ローカル鉄道を存続させるためには、通勤通学客の確保、地域との結びつき、観光客の誘致などの様々な取り組みが必要だ。そして今、多くの鉄道会社が、それぞれの地域的条件の中で奮闘していることは、もっと知られてもいいと思う。

 

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鉄道軌道整備法の改正を

Photo_2  昨年8月の台風10号で、岩手県岩泉町は甚大な被害を受けた。その爪痕がまだ残る小本川支流大川の流れの近くに、廃止されたJR岩泉線浅内駅の跡が残っている。駅舎とホーム、錆びたレール、そして蒸気機関車時代の給水塔が、ここに鉄道が通っていたことを教えてくれる。

 JR岩泉線は、国鉄時代に「特定地方交通線」に指定され、廃止対象路線となっていたが、並行する国道の未整備を理由に、JRの鉄道路線として引き継がれた。

 しかし2010年7月に、土砂崩れによる脱線事故が起き、さらに崩落の危険があるとしてJRは全線運休を続けて代行バスを走らせていたが、2014年3月末に、4年近い運休のまま、バス転換された。

 岩泉線の場合は、JRになってからの1990年代にも存廃問題が浮上していた、言わば「究極のローカル線」だったのだが、大きな災害が鉄道廃止の引き金になりうることを、ローカル線を抱える地域の自治体、住民に改めて認識させたできごとだった。

 岩泉線と接続しているJR山田線(盛岡―宮古間)も、2015年12月の土砂災害により、現在も上米内―川内間51.6kmが不通のままだ。この区間はようやく今年の秋に運転が再開される見通しである。

 さて、昨年末に、もう一つ大きなニュースが報じられた。不通になっているJR只見線の復旧に福島県、地元自治体が合意したというものだ。

 会津若松と新潟県の小出を結ぶ只見線は、2011年7月の豪雨によって会津坂下―小出(新潟県)間113.6kmが不通となった。復旧工事によって2012年10月までに、会津川口―只見間27.6kmを残して運転が再開された。しかし、只見川の鉄橋3本が流出するなど甚大な被害を受けたこの区間について、JRは85億円を超えるとした鉄道復旧費用と、利用客の少なさから、不通区間のバスによる輸送を提案したが、福島県と地元自治体は鉄道による復旧を求めていた。

 昨年12月26日、福島県と沿線7市町で構成する只見線復興推進会議検討会は、復旧費用の3分の一を負担することと、の維持費用の負担(上下分離方式)による鉄道復旧の方針を決定した。この3月にも、JRと復旧に向けた協議が始まるが、開通は早くても2020年とのことである。

 只見線の復旧がここまで膠着した要因は、震災後の鉄道復旧をめぐる動きとよく似ている。大規模災害であっても、現行の法律「鉄道軌道整備法」では、「該当する鉄道の鉄道事業者がその資力のみによっては当該災害復旧事業を施行することが著しく困難であると認めるとき」(第八条4)しか補助金を出す仕組みがない。しかし、これではJRのローカル線が大きな災害を受けると、また同じ議論が繰り返される。

そこで今、この鉄道軌道整備法を改正して、黒字の鉄道会社の鉄道路線についても、災害復旧費用の三分の一まで国庫補助ができるようにする動きが進んでいる。この法改正が早く実現してほしいと思う。

 

 

新たな新幹線は、新たな三セク鉄道を生む

 Photo 東北本線は上野(正式な起点は東京)―青森間だ、という昔の鉄道知識が役に立たなくなっている。

 「東北新幹線」は、東京―新青森間を結ぶ高速鉄道だが、在来線の東北本線は、盛岡が終点であり、その先は、岩手県内が「IGRいわて銀河鉄道」、青森県内が「青い森鉄道」という第三セクターの鉄道である。

 これは1990年に政府・与党間で、「建設着工する区間の並行在来線は、開業時にJRの経営から分離することを認可前に確認すること」という合意がされたことによる。

新幹線が開業すれば、並行する在来線の経営収支が悪化することは目に見えている。そこで、旧・国鉄の二の舞をJRに演じさせないため、並行する在来線をJRの経営から切り離すことになったのだ。

この方策は、JRにとってはありがたいことだが、経営を肩代わりする県や自治体にとっては、大きな負担となり、地元住民にとっても、運賃値上げという直接負担が加わる。

IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道は、貨物列車を走らせているJR貨物から、国の主導で増額された線路使用料を受け取っている。

しかし、JR東日本が盛岡-青森間を通り抜けていた寝台特急「北斗星」や「カシオペア」を2015年までに廃止したため、三セク2社の貴重な収入となっていた運賃と線路使用料が臨時列車を除いて入らなくなってしまった。

 こうした面はあるものの、新幹線は地域産業の発展や観光客の増加などのプラス効果が大きいため、これまで、どこの県や自治体でも、「在来線分離」の条件を受け入れて建設運動をすすめてきた。その結果、2015年の北陸新幹線金沢開業では、長野県、新潟県、富山県、石川県を走る在来線234kmが、県ごとに4社の第三セクター鉄道に移管された。

 さて、東北地方には山形新幹線と秋田新幹線も走っているが、この2路線には在来線の第三セクター化は起きていない。いわゆる「ミニ新幹線」方式を採用したからだ。

 「ミニ新幹線」方式は、新幹線整備計画から外れた地域に、在来線も走行できるタイプの新幹線車両を走らせるもので、建設費が通常の新幹線よりも安い。在来線のカーブを一部改良し、レールの幅を広げることが工事の中心となるからだ。地元の通勤通学輸送も同じ線路を走る普通列車によって確保される。山形新幹線は1992年に山形まで、1999に新庄まで開業、秋田新幹線は1997年に開業している。

 「ミニ新幹線」方式では、最高速度が在来線並みに制限されるので所要時間が通常の新幹線よりもかかるし、単線区間では交換待ちの停車もある。また、線路幅の違いで貨物列車が入れないので、貨物輸送の多い日本海縦貫線などには、この方式は向かないだろう。

 現在、山形、秋田県内を中心に、奥羽・羽越新幹線の建設促進を求める動きがある。運動を進める際には、東北新幹線のような「フル規格」、山形、秋田新幹線のような「ミニ新幹線」、そして在来線の改良・高速化のそれぞれの必要度、建設費、地元にとってのメリットとデメリットなど、総合的に議論していただきたいと思う。

 

 

2017年3月29日 (水)

震災で見えた鉄道の課題

B1  昨年11月18日、北海道から大変なニュースが報道された。JR北海道が、全路線の約半分にあたる1,200㎞以上の路線を「単独での維持が困難」だとして、すでに廃止が決まっていた留萌―増毛間(昨年12月4日が最終日)を含む留萌本線全線と、札沼線根室本線の各一部は「廃止を前提」とし、残りの路線については、維持に必要な費用について、地元自治体にも負担を求めたいと表明したのだ。

 東北地方でも、鉄道の経営をめぐる課題がここ数年表面化している。特に2011年の東日本大震災で、沿岸部の鉄道路線が壊滅的な被害に遭い、その復旧・復興の方法をめぐって、国と県、自治体、鉄道会社の間で、話し合いが長く続いた。

 三陸鉄道については、岩手県と国土交通省からの財政支出による復旧が決まり、2014年4月に全線の運転が再開された。

 JR東日本の路線は対応が分かれた。沿岸部の路線のうち、八戸線、仙石線、常磐線については、JRの鉄道として復旧・復興させることになった

しかし気仙沼線・大船渡線の前谷地―盛間はBRT方式のバスで仮復旧された。山田線宮古―釜石間はJRが復旧費用の多くを負担して工事を行い、完成後は赤字の負担金として一時金を支払って三陸鉄道に経営を移管するというものだ。この方式での決着までに4年の年月が費やされ、2015年になってようやく工事が始まった。宮古―釜石間の運転再開は2018年度になるという。しかし、山田線を引き受けることによって三陸鉄道の赤字が増えると予想される。

 私は秋田内陸線という第三セクター鉄道の支援団体で活動をしているが、ローカル鉄道の赤字を問題にする人に、このように質問している。

 「鉄道の赤字は確かに問題です。でも、道路は黒字ですか?」

 道路は税金で建設され、有料道路を別にすれば、ほぼ税金で維持されているが、鉄道は建設費や維持費の多くは鉄道会社が負担している。

 同じインフラで、道路が税金で賄われ、鉄道は会社負担という仕組みになっているのは、鉄道建設時代には鉄道が大きな黒字を生み出していたことも要因と言われている。

今は、自動車交通の発達によって鉄道の輸送シェアは減少したものの、長距離輸送や都市近郊の通勤通学輸送にとって鉄道は不可欠である。

一方で、ローカル鉄道の場合、国や自治体からの支援がなければ存続が危うい路線も多い。沿線地域にとって存在感の大きい鉄道を、どのようにして将来へつなげていくのかが、大きな課題となる。

 東日本大震災によって、私たちは、鉄道と地域のつながりを改めて見直さざるを得なくなったといえる。東北の鉄道の今と将来を、考えて行きたい。

 

 

2017年2月27日 (月)

かまくら攻防戦、終盤へ

自宅の冬の戦い、かまくら攻防戦も終盤となりました。

 豪雪地帯での雪かきは、日々の生活を確保することと、建物の損傷を防ぐことの2方面作戦です。これに、低温による水道管の凍結を防ぐ「凍結防止作戦」が加わります。

1 生活確保作戦

 生活の確保の絶対防衛圏は、道路から玄関までの通行の確保。距離20mです。徒歩だけでなく、車の出し入れも必要なので、幅2mほどの通路をフラットにすることが、毎朝の戦いです。

 冬の車の駐車位置は、夏場より4mほど道路に近い位置です。これは、夏場の位置だと、玄関屋根からの落雪の攻撃を受けるためです。

 玄関屋根からの落雪のある部分も、できるだけフラットにしておきます。万が一流雪溝の水が止まったときに、車の前側の雪をどけてためておく「ストックヤード」にするためで、この冬は何度か、このストックヤードが役に立ちました。

 ストックヤードから庭の池までの通路も、できるだけ確保します。ここは2階屋根からの直接の落雪が来るので、通行止めになってしまうことも多いのですが、台所から庭への裏口は、万が一の際の避難路にもなるので、時間のあるときにこの通路の除雪を行います。

 ただ、この通路の除雪は、2階屋根からの雪が落ちたときと、落ちる心配のない朝のうちに、時にはヘルメットを着用して行います。

2 家屋損傷防止作戦

 雪で家が潰れたり、損傷したりしないように、屋根の雪を下すのが、豪雪地帯の一番の作業といわれます。でも、このあたりの屋根は、雪が積もると自然に滑り落ちるようになっています。私の家も、気温が0℃より上がると、屋根の雪が滑ります。しかし、強い寒波で氷点下の日が続くと、屋根の雪が滑らずにどんどん積もります。そうなると屋根の雪を下さなければならないのですが、私は登れないので、地元の知り合いの業者にお願いします。この冬は1月中旬に一度、下してもらいました。

 屋根からの雪は次第に高い山になり、そのままにしておくと、屋根の雪とつながってしまい、家が「かまくら」になってしまいます。こうなると、屋根の軒が痛むので、雪をどけなければなりません。これが「かまくら攻防戦」です。

 12月は、できるだけ軒の下を除雪して、玄関と同じレベルに保ちます。1月にはしだいにそれが「塹壕」になり、落雪が続くと塹壕が埋まって山ができ、そのうちに屋根とつながってしまいます。このころ、東京から応援部隊が来て、屋根の下の雪をほとんど除雪してくれます。この冬は2月に秋田市からの応援が来て、とても助かりました。でも、雪が続いて、三度、山が出現しました。

 2月26日、前日のマタギの湯からもどると、また屋根の雪が軒下とつながっています。ちょうど、稲村ケ崎から汀線沿いに侵入した敵が、由比ヶ浜に進出してきた感じ。裏側も、化粧坂を敵が下り始めたくらいの段階です。数年前は若宮大路あたりまで攻め込まれたことがあるので、今年はまだ余裕があります。さっそくカンジキをはいて、由比ヶ浜と化粧坂の敵を撃破、そして物置屋根の5回目の雪下ろしをしました。

 もうすぐ3月。あとは多少の武力衝突があるものの、勝利は我が手に。この戦い、守っていれば絶対に勝てるので、助かります。

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2017年1月 2日 (月)

明けましておめでとうございます

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 明けましておめでとうございます。2017年が平和な年でありますように。

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